伊東宏隆院長

- 神奈川歯科大学卒業
- 東京都九段下の歯科医院に勤務
- 干葉県富津市のクリニックに勤務
- 伊東歯科医院開院
私は生まれ育ったのは世田谷なんです。両視は下町で生まれ青ち、浅草に住んでいましたが、戦争で一帯が焼け野原になり、世田谷に引っ越したと聞いています。子どもの頃は、浅草に住んでいた親戚の家に、よく泊りがけで遊びに行きました。友達もでき、町内の祭りに参加させてもらったのは楽しい思い出です。その頃から下町の雰囲気がとても心地よくて、開院するなら下町でと思っていました。実際に開院した当初は、この辺りに誰も知り合いがおらず不安もありましたが、大家さんや周囲の方が親切にしてくれて、いろいろな人たちを紹介してくださり、プライペートでも次から次へと交流が広まりました。町内の祭会にも参加していますし、昨年は消防団にも加わり、月1回の定例会の他、研修や親睦会などもあります。一緒にお酒を飲むこともありますし、ゴルフにも行きます。これからも地域と関わりながら、自分のできる歯科医療で貢献していきたいですね。
開院までは、都内と千葉県のクリニックで長く経験を積まれたのですね。
大学卒業後、当時まだ新しい分野だったインプラント治療について学びたいと思い、院長がその専門家である九段下の歯科医院に5年半勤務しました。インプラント治療を一通り学び、今度は入れ歯を学ぼうと思ったのですが、オフィスが立ち並ぶ都会では入れ歯が必要な患者さんはあまりいなかったのです。そこで緑あって干葉県富津市のクリニックで働き始めました。のどかな土地で、都会とは全然様子が違いました。昔ですから外灯もあまりなく、タ方になると真っ暗。寂しさも覚えましたし、最初は虫の声で暇れなかったこともありましたね。歯科医院が少ないエリアだったこともあり、先ほどお話ししたように1日に多くの患者さんを診ることもあったのですが、入れ歯はもちろん、さまざまな経験を積むことができ、気づいたら17年近くもそこで治療にあたっていました。
- 歯科医師をめざしたきっかけを教えてください。
- もともとは建築学部で免震や制震などの構造設計の勉強をしたかったのですが、受験がうまくいかなかったんです。そんな時、親から「小さい物(歯)も大きい物(家)も一緒、歯科大学を受けてみたら」と勧められました。何となく、それもそうかなと納得してしまったのですが(笑)、どうも親は医療関係の大学に進学させたかったようです。理系の勉強をしてきましたから、基礎は同じ。小さい頃からブラモデルで城を作ったり、複雑な折り鶴を作ったり、こまかい作業が好きだったので前向きに考えました。最初から手先が器用だったわけではないと思いますが、毎日仕事でこまかいことを繰り返すうちに自信はつきましたね。臨床は教科書どおりにはいきませんし、自分で診療しながら覚え、より良い結果にするために工夫するしかない。経験を積むうちに、やりがいを感じるようになりました。
- オフの時間はどのように過ごしているのですか?
- 大勢と一緒にいるのが楽しくて、今はゴルフと親睦会が楽しみですね。祭りが大好きなので、神社や時代劇など歴史的なものにも魅かれます。地区の祭会で伊勢神宮に行きましたが、心が洗われるというか、癒やされますね。時代小説も好きです。今読んでいる本に、本所、深川、向島、両国橋などが出てきてわくわくします。歴史ものはシリーズになっていたり長編ものも多いですが、新刊が出るとすぐ購入し、以前は通勤電車で相当読んでいましたね。実はずっと世田谷から通っていたのですが、昨夏、すぐ近くに越して来たんです。休診日やその前夜は帰りの時間を気にしなくてもよいので、地域の仲関との交流の時間もさらに増えました。この町が大好きだし、住み心地はもちろん溝点です。今後も長く、地域の皆さんのロ腔内の健康管理のお手伝いをしていきたいです。